太閤水
豊臣秀吉が九州に遠征した帰りにここの井戸の水を飲んだことから太閤水とよばれています。
九州遠征の往路でこの地を訪れた際に良い水がなかったため、あの千利休が井戸を掘ったとも言われていますが諸説あるようで定かではありません。
ただ、豊臣秀吉がここを訪れたことは確かなようで、旧唐津街道沿いにはいくつか同じ名前のものが存在します。
古くは飯銅水と呼ばれていたものを、豊臣秀吉の命で宗及水(千利休の名前)と名づけたり、元に戻したりと、何度か名前が変わったあと、後の人が石畳に井戸を整備して、現在のように太閤水とよばれるようになりました。
ちなみに、飯銅(はんず)とは、九州北部で使われていた陶器の水瓶のことで、この飯銅の底が抜けたものを井戸枠に使っていたことから、飯銅水といわれていたとのことです。
井戸の横にある祠に祭られた大きな石は、この地、三代に伝わる伝説に登場する石らしく、地元ではお地蔵様とよばれて親しまれています。人によっては「ぽっくり地蔵」ともよぶのだそうです。
毎年7月に三代の公民館で執り行われる祇園祭は、このお地蔵様に由来するものだとか。
祇園祭の際には、公民館前の交差点と、この太閤水の前の交差点に笹のかざりが立ちます。
なお、この敷地は、隣の納骨堂とともに、三代地区の住人の菩提寺である祥雲寺(太閤水の前の道を3号線方面へ約100mほど行った左側)の境内だそうです。
現在では井戸からの湧き水を取っていた従来の取水口をなくして、ポンプにより井戸の地下水を汲み上げて一般に提供しています。
取水に料金はかかりませんが、取水施設の維持に協力金を募る看板がありました。ここのお水を楽しまれる方は、是非協力しましょう。